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創業物語

ヨネヤマシール印刷は私の父米山昇が昭和47年(1972年)に創業いたしました。昇が亡くなってから22年になるので社員の半分くらいは創業者を全く知りません。創業にはそれなりのドラマがあり苦労があるので当社の社員のみならず、ご縁のある方に知っていただければと思い、ホームページの1ページを割いて載せることにしました。しばしお付き合いいただければ幸甚です。

米山昇は昭和8年(1933年)の世界不況のただなかに新潟県南蒲原郡下田村笹岡に生まれました。父親(私には祖父)は茅葺き屋根を葺く職人で、家はそうとうな極貧でした。屋根葺きの棟梁といえば聞こえはいいですが別に使用人や奉公人がいるわけではなく、屋根を葺くときには方々に人手を頼んで梃子をお願いしたり、はざ木を借りて足場を組んだりでようやく屋根が葺けるというような状況でした。つまりは自分一人では何もできなくてほとんど人の力を借りて仕事をしていたために一軒の屋根を葺いても出ていくお金が多くて手元に残るのはわずかです。それに屋根を葺ける時期というのは極めて限られていて、冬は雪があってもちろんだめですが春先は春先で村の人たちは田植えに忙しく人手の確保がままなりません。ようやく屋根葺きのシーズンを迎えるのですが、いくらもしないうちに梅雨になってしまいます。梅雨が明けて夏も暑さが厳しい日は避け、稲刈りの時期になればまた人手がなくなり稲刈りが終わると今度は足場に必要なはざ木がないという始末で、一年のうち仕事のできる期間は田植えが終わってから梅雨入りまでの1ヵ月足らずと秋口のわずかな期間しかありません。職人としての腕はよく仕事もしっかりしていたので比較的仕事は回ってきたようですがそれでも依頼は年に数件あればいいほうで、借金をしてはその年の数件の仕事でやっと返して、返した端からまた借金が始まるといったような生活でした。

下田村はご存じのように農家が多いので食べ物に困っている家は比較的少なく、学校に持っていく弁当なども皆はご飯に漬物や煮物といったものが多かったようです。そこへ行くと農家でもなく、まして極貧の屋根屋の倅の弁当は悲惨で、時には蓋を開けてみるとふかした痩せたサツマイモが2本という日もあって、そういう日は腹が痛いといって弁当を開けずに帰ってくるなどということもあったそうです。

その上この屋根屋の父親には分に不相応な道楽があって、借金してやっと生活できているというのに珍しい茶碗や古い茶器があると矢も盾もたまらずさらに借金して買ってしまうのです。さあこれを持って家に帰ると当然のことながら母親と大喧嘩になります。母親と大喧嘩して頭に血が上ってくると最後にはたった今借金して買ってきた茶碗や茶器を庭に投げつけて粉々に壊してしまうらしく、まあきっとお金があろうがなかろうがやっぱり貧乏には変わりがなかったんではないかと思います。

こんな貧乏屋根屋の棟梁でも子供のしつけには相当うるさかったようで、昇はまるで侍の子のようにしつけられます。食事のときなど、父親は囲炉裏のそばの畳で食べられても母親と子供たちは板敷きに正座で、ごはんのお代わりを待つ間両手は足の付け根に置いて静かに待ちお椀を差し出す時、受け取る時は必ず両手です。待っている間に箸でも持とうものなら火箸が飛んできたそうで、貧乏ながらもだらしないふるまいは一切許さなかったようです。だから部落の人からは、屋根屋の棟梁はいつもしゃんとして曲がったことの嫌いな実直な人というイメージを持たれていたようです。昇も小さい時から雪下ろしや囲炉裏にくべる柴刈りなど家のことをはじめ何でもやらされ、果ては近所の尼さんの肩もみまで頼まれたそうです。それでも父親のしつけで人にものを頼まれたら損得を言わず気持ちよく引き受ける習慣が染み付いていて、働き者のまじめないい子で通っていたようですが昇に言わせるとただ父親が怖かっただけだったそうです。

さてそうこうしているうちに昇も小学校6年生になり中学校へ行くか働くかという進路を決めなければならない時期になります。父親は当然屋根屋を継がせるつもりでいたので中学にはやらずに働かせようと考えていました。昇も何の疑問も抱かずに自分は屋根屋になるものだと思っていたそうで、学校にそう話したところ担任だった桐生竜一先生が、「米山は成績もいいし何としても中学は出ておいていたほうがいい」と言って父親の説得に家まで来られたそうです。父親は中学に行っても食いぶちの助けにならないと言って最初は聞く耳を持たなかったようですが、桐生先生が「これからの屋根は瓦が主流になって茅葺きの屋根はなくなる。せっかく屋根葺きの職人になっても仕事がなくなってしまう。中学校で勉強させてもっと将来性のある職業に就かせるべきだ」と言うに及んでさすがの頑固親父も悄然とうなだれて「そうか屋根屋はなくなるか」としょんぼりして「わかった。昇を中学へやろう」と承知したそうです。その時の寂しそうな父親の姿はいつまでも忘れられず、皆と中学へ行ける嬉しさとなんだか父親を裏切ったような複雑な気持ちだったそうです。

中学時代は野球に陸上に勉強よりもスポーツをよくしていたそうで、下田村では一番足が速かったというのが自慢でした。余談ですが、かく言う私もその血を受け継いだのか中学校時代は短距離走なら三条市でだいたい1、2番でした。

さて昇は中学校を卒業すると三条市内の印刷会社に住み込みで就職することになります。ここで初めて印刷とのかかわりが出てくるのですがこの就職に関しても先の桐生竜一先生にお世話をいただいたそうで、以来桐生先生とは昇が亡くなるまで緊密な師弟関係が続き、よく先生の運転手をしながらあっちこっちと出かけていたようです。またこのときの住み込みは一人ではなく何人かの共同生活であったらしく、この時代に知己を得た方として書家の荻根沢小帆先生や瀧澤霜蒼さんがおられます。こういった方々とも亡くなるまで親しくお付き合いさせていただいたようで、昔の人たちの関わりの濃さというものを感じさせられます。

昇はこの住み込み時代にその印刷会社の創業者から目をかけられ何かと用事を言いつかります。その理由は小さい時から父親から受けた侍の子のようなしつけにあったようで、なにせ「行儀がいい」ということだったらしいです。食事中の行儀一つとってもこの明治生まれの創業者の眼鏡にかなったようで、何かあると必ず「昇、昇。」と用事を言いつかります。休みの日は他の住み込みの人たちは出かけられても昇だけは朝から用事を言いつかって遊びに行けなかったこともしょっちゅうで、さすがに「何で俺だけ」と思ったそうですがそこは父親の厳しいしつけが幸い(災い?)して顔には出さずに相変わらずいい返事で用事を言いつかっていたようです。あまりの自由時間のなさに同僚の住み込みの人たちも気の毒に思って「大変だな」とねぎらってくれたり同情されたりしたそうです。ところがこれだけいろんな仕事を言いつかると他の住み込みの人たちよりも格段に仕事の覚えが早く、持ち前の勤勉さと父親譲りの職人としての素質と相まってめきめきと腕を上げていきます。いくらもしないうちに職人として頭角を現し、若手のリーダー格になっていきました。しだいに会社にとってもなくてはならない職人になるのですがやがて転機が訪れます。

そのころには住み込みも卒業して三条市三竹1丁目に中古住宅を買い、母ともめぐり会って結婚してちょうど私が母親のおなかにいたころだったのですが、退職を決意します。退職の理由はいろいろあったようですがトップが代替わりの時期にあったことと無縁ではなかったようです。次に行くあてもなく退職してしまったのですが腕の良さは回りにも聞こえていたので辞めたならうちへ来てくれというところが2、3あり、その中でも若手を育成してほしいと熱心に誘ってくれた燕の印刷会社に転職を決めます。それでも辞めてすぐ移ると引き抜かれた格好になって新しくいくところに迷惑がかかると悪いと思い、先方には1ヵ月ほどぶらぶらしてからいきますということで了解してもらいました。

家にいて幾日もたたないうちに、陸王という大きなバイクに乗った一人の男性が家へ訪ねてきます。母は当時看護師をしていたので仕事に行ってて留守で、応対に出た昇に「米山昇さんはあんたらかね」「うちに新しい印刷機入れたんだが誰も動かさんねえで困ってんだて。教えてやってくれんかね。」と、訪ねてきたのは先年亡くなられた関マーク製作所の創業者、関正吉さんでした。昇は二つ返事でわかりました明日から行きますといって、翌日から約1ヵ月毎日通って印刷機の動かし方から印刷のノウハウまで教えます。その間、関さんと昇の間でお金の話は一度も出たことがなく、昇も報酬のことは全く考えていなかったそうですが「お昼だけはよくごちそうになったなあ」と言っておりました。

こののち昇は燕の印刷会社に就職し若手の育成が一区切りつくとそこを辞め、長岡の印刷会社からやはり若手の育成にということで請われて行くのですが、どちらも若手が育つまではいいのですが育ってしまうとやはりよそ者の職人には居場所がないと感じるようになり、また生来曲がったことが嫌いではっきりものを言ってしまうので親方と意見が合わないこともしばしばでだんだん居づらくなっていったようです。長岡の印刷会社で思い悩んでいた時に、しだいに「このまま終わるのは嫌だ。独立したい」と思うようになり、独立するにはどうしたらいいかを相談できるのはあの人しかいないと思い関正吉さんに相談に行きます。

関さんに「どうしても独立したいんだがどうしたらできますかね」と聞くと「じゃあ来月うちに新しいシールの機械が入ってくるからそれをあんたに回すわね。ただし仕事は自分でとってきなせや。機械の代金は毎月少しずつ返してくれればそれでいいね。」と言って小型の平圧式シール印刷機を回してくれたそうです。昇は急きょ自宅の一部屋をつぶしてセメントを張ってそこに印刷機を入れます。ここに社員一人、小さな機械1台のヨネヤマシール印刷がほそぼそとスタートを切ります。

昇は以前お世話になった印刷会社さんや市内の印刷会社さんにあいさつに行きシールの仕事があったら声をかけてくださいといって回ります。もともと仕事の確かさでは評判が高かったので、あんたなら間違いないだろうということで徐々に仕事が増えていきます。

やがて一人では回らなくなり母に看護師を辞めさせ仕事を手伝わせます。そのうち機械も1台では足りなくなって新しい機械が必要になります。ところが1000万円近くする印刷機を買える余裕はまだなく、まして自宅の狭い土地しか資産のない昇に銀行も融資をしてくれません。銀行からは保証人がなければ融資は難しいと言われ途方に暮れてしまいます。それでも何としても機械を入れたい一心で再び関正吉さんを訪ねます。「関さん、おかげさまで仕事も増えて融通してもらった機械も順調に回っているんだが、新しい機械がどうしてもほしい。厚かましいお願いで申し訳ないのだが何とか銀行の保証人になってもらえないだろうか」とお願いすると、関さんはあっさり「ああいいよ。明日また来てくれね。印鑑証明取っておくから」と言われたそうです。当然断られるだろうと覚悟していた昇は、あまりに簡単に引き受けてくれたので「本当にいいんですか」と言うと、関さんは「米山さん、私はあんたのことは100%信じるよ」と言ってくださったそうです。昇はあまりの感動で言葉もありません。そうです、あの一切報酬の話をせずに1ヵ月無償で面倒を見たことで、関正吉さんは昇の人間性を見抜いて絶対の信頼を置いてくれていたのです。現にその後何かの席で「あの時一日いくらで話をしていたら今のあんたと私の関係はなかったろうなぁ」と言って笑っておられたそうです。その後もたびたび関さんが保証人を引き受けてくださったおかげで順調に機械も増え人も増えていきます。もちろん昇は「関さんにだけは迷惑はかけられない」という一心で会社を伸ばし、現在に至ります。

今当社と関マーク製作所の間には通常の商取引が存在しているだけで特別の関係はありませんが、ヨネヤマシール印刷はまさに昇と関正吉さんの信頼関係がなければ生まれなかった会社です。私はこの話を思い出すたびに、仕事は情熱と信頼関係、志と人間性なんだと思い知らされます。自分自身にも皆にも、お客様との信頼関係、取引先との信頼関係、そして社員相互の信頼関係を大切にしながら日々仕事に励もうと話をしています。

米山智哉

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